当興禅寺は仙台市新寺小路松音寺の末寺にして、天正16年国分彦九郎重盛公、之を創立し松音八世喜州詮應大和尚を請ふて開山として現在に至る。重盛公は横手の戦役に参加し遂に戦に破れ羽州大義山正平寺に葬るともあるが正平寺にはその事実なく、葬事にして十余の侍従を伴いて此の地に来て天正16年11月16日此の地に終り、その父子の墳墓、一にて小なりとも当寺に存す。毎年其の銘日に開基例祭を厳修している。又、重盛公の法謚は、四世佛心照宗大和尚の謚と思考される。又、当寺は天正年間の創立にして時代の変遷に盛衰はありしも、仙台以北唯一の寺として世人の普く賞賛し皈依せし所であった。

現在の堂宇は、昭和40年5月興禅13世結堂忱隆時代に改新築したのであります。りわ観音は明治11年3月23日生まれ。広瀬村(現=宮城町)作並檀ノ原、父奥山源之助、母りせの次女として生まれ、多くの子弟に裁縫を教えて百歳まで生きた方。

観音様お写真・おとなえする言葉

宮城県仙台市太白区富田上野中108番地  TEL(022)245‐3025