円福寺は、もと宮城郡澤乙に天台宗の寺院として開創されたのに始まる。天正年中(1573〜1819)に仙台市緑ヶ丘普門山瀧澤寺第五章覚教文(章岳亨分、また章覚ともある)和尚が現在地に移建、曹洞宗に改宗して中興開山された。藩政時代は仙台藩家格着座格で、寺領2貫文を附せられていた。

本尊聖観世音菩薩は、聖徳太子或いは慈覚作と称する。往古坂上利仁の侍女悪玉の護持佛で、子育観音または、悪玉観音と唱える。一説には、坂上田村麻呂東征の際
宮城郡九門長者の娘悪玉を側室とした。

悪玉は平日観世音を信仰し、後一宇を建立して尊像を安置したといい、また「御府内珍集記」によれば、当寺は宮城郡の内産ヶ原(千熊丸の誕生地)にあった。此所に悪玉姫の宮があったというから円福寺はその観音像を安置した堂宇であったとも考えられる。

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