高舘山を背にして朝日をあびる秀麓齋の山門・本堂、ゆるやかなスロープの丘の墓地。寺でありながら、『齋(書院)』とは現代風であるが、歴史は古く、延暦年間(782〜806)征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の軍を進めるにあたり進行する西国清水寺の観世音をこの地に勧請し、戦勝と天下泰平を祈願されたといわれ、大同2年(807)伝教大師の法嗣、義貞法嗣が開祖となり、天台宗天苗山秀麓寺と号し、大阪四天王寺の末寺となった。平泉の藤原氏隆昌の頃はその庇護を受け、末寺24ヶ寺を有していた。その後、文明年間(1469〜1487)越後村上の耕雲寺四世湖海仲珊大和尚を勧請開山とし曹洞宗に改宗、寺号を秀麓齋とし現在に至って
いる。伊達正宗公が元亀3年(1572)より翌天正元年3月まで逗留され、先祖尚宗公が本尊利勝観音に深く帰依された因縁から寺録25石を授け尚宗・植宗・輝宗の尊牌を安置し、戦没者慰霊の為千躰仏を奉納して現在も祀られている

観音様お写真・おとなえする言葉

宮城県仙台市太白区富田上野中108番地  TEL(022)245‐3025