寺脉
大本山総持寺−総寧寺(千葉県)−長禄寺(福島県)−龍渕寺(宮城県涌谷)−
金龍院(福島県)−金昌寺

金龍院は江戸期廃寺となり、以来仙台市太白区根岸町の宗禅寺を本寺とす。
創建
天正3年(西暦1575年)
開山(初代)
 福島県、金龍院・蓮山※達大和尚
開基
 江戸末期の火災により、関係記録等焼失し不明。
※  ・・・ぎん

創建
推移
太白区の旧名取郡西多賀村富田は、名取川流域で約二万年前から人々が暮らす生活の中心地であった。特に名取川は秋保から神室岳から流れ出て、生出山田・富田・富沢・大野田を通り、閖上から太平洋と流れ、山間から平地へとうねる大河は、流域に豊かな恵みを与え、長い間人々を潤してきた。旧石器時代から縄文時代の遺跡が数多く見られるこの地域は、弥生時代に入って稲作を中心とした生活が営まれるようになると、名取川流域にはいくつもの集落ができるようになった。それに加えて現在の富沢・富田周辺は湿地帯だったらしく、水田跡がいくつもあって、弥生時代から近世まで営々と続く歴史を物語っている。
 このような歴史背景を担った富田地区の小高い丘に「金昌寺」は、天正三年(1575)に創立された。寺近くには八坂神社。多賀神社は祀られてられております。神社は日本古来の神様であり、お寺は渡来仏教として鉄明天皇の時代(552)に伝来された。富田の地名は多賀神社の神田が置かれていてその田が豊に富んでいる田であったことから、「富んだ田」=「富田」になったとある。現在でも、良い田や畑があり、野菜では仙台の台所と呼ばれている程である。
 このように恵まれた地域の皆様に勧請されて創建されたのが「富蔵山 金昌寺」であります。山号・寺号に見られる豊かな名称は、この富田の歴史と肥沃
な土地から生まれたものと推測します。「富蔵山 金昌寺」の山号・寺号が誕生した背景として二つ考えられます。一つは、歴史的背景と肥沃な土地と勤労意欲のある住民の願いから、山号と寺号が生まれた。あと一つは知慧(仏教の知慧)と家庭のまつりのカルチャーバンクと言えるのは、次の理由による。富田地区の家々は歴史が古いが、家庭のまつりが時代によっては全く定かではないことと、資料が保存されていないことなどにより、自分の家庭のまつりの宗教的なもの・文化的なものを預けたり引き出すことができるということからバンク(銀行)の名称として「富蔵山 金昌寺」となったと考えられるのである。

詳細ついてはお寺へお問い合わせ下さい。
宮城県仙台市太白区富田上野中108番地  TEL(022)245‐3025

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